八佾4

原文↑↑↑

林放問禮之本
子曰。
大哉問。
禮與其奢也寧儉。
喪與其易也寧戚。

書き下し文↑↑

林放(りんぽう)、禮の本を問ふ。#1
子曰く、
大なる(かな)問や。
(れい)は其の(おご)らんよりは、(むし)(けん)せよ。
(そう)は其の(そな)はらんよりは、寧(むし)(いた)めよ、と。#2#3#4

現代語訳↑

林放が礼とは何なのかを尋ねた。
孔子が言った。
善い質問だ。
礼は豪奢(ごうしゃ)にするのではなくて、つつましくしなさい。
喪は形式にこだわるのではなくて、大いに悲しみなさい、と。

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備考
#1林放は魯人、世の禮を為す者の専ら繁文を務むるを見て、而して其の本の是に在らざるを疑ふ。(伊藤仁斎「論語古義」)
#2禮は先王の制する所、時王の用ゆる所、今、放、之れを疑ふ、故に夫子其の問いを大なりとするなり。
易は治なり、禮は節制(せっせい)する所以なり、喪は哀を致す所以なり、故に禮の奢りて物を備ふるは、儉にして備へざるに若(しか)ず、喪の易にして禮を盡すは、戚にして文ならざるに若かず、其の本を得るが故なり。
若し夫れ(いたずら)繁文(はんぶん)を務めて、而して其の本實を(わす)る者は、(もと)より禮を為す所以に非ざるなり。
放、特に禮を問ひて、而して夫子兼ねて喪を言ふ者は、蓋し其の意の備はらんことを欲するなり。(伊藤仁斎「論語古義」)
#3禮を為す者は必ず物の備はらんことを好み、物の備はらんことを好めば則ち必ず文勝つに至る。
喪を為す者は必ず治めて失無からんことを欲し、治めて失無からんことを欲すれば則ち必ず其の實を失ふ。
故に禮は儉を以て本と為し、喪はを以て本と為す、聖人のを尚(とうと)ぶや此の如し。(伊藤仁斎「論語古義」)
#4論に曰く、
舊註に謂ふ、禮は中を得るを貴ぶ、と。
其の説は禮記に本づくも、然れども聖人の意に非ざるなり。
嘗て曰く、先進の禮樂に於けるや野人なり、後進の禮樂に於けるや君子なり、如(も)し之れを用うれば吾は先進に從はん、と。
又た曰く、奢れば則ち不孫、儉なれば則ち固(いや)し、其の不孫ならんよりは寧ろ固(いや)しかれ、と。
及び此の章の如き、後世の學より之れを言へば、中に及ばざるの病有るに似たり、故に以て時を救ふの論と為す。
然れども聖人の道は、儉を(とうと)びて奢(しゃ)(にく)み、其の世を(おさ)めて民を(おさ)む、常に盈滿(えいまん)を戒めて、而して退損(たいそん)に從ふ、禮を以てを為すと雖も、而も必ず儉を以て本と為す、其の言の中に及べる者は甚だ少なし。
蓋しは以て禮を守る可く、而して中は則ち執守す可からざるを以てなり。(伊藤仁斎「論語古義」)

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