裴楷精通(巻之一)
原文
晉裴楷。字叔則。河東聞喜人。
明悟有識量。少與㆑戎齊㆑名。
鍾會薦㆓於文帝㆒。辟㆓相國掾㆒。
及㆓吏部郎缺㆒。帝問㆓鍾會㆒。
會曰。
裴楷清通。王戎簡要。皆其選也。
於㆑此用㆑楷。
楷風神高邁。容儀俊爽。博渉㆓羣書㆒。特精㆓理義㆒。
時謂㆓之玉人㆒。
又稱。
見㆓叔則㆒如㆑近㆓玉山㆒。照㆓映人㆒也。
轉㆓中書郎㆒。出㆓入官省㆒。見者肅然改㆑容。
武帝登㆑祚。探㆑策以卜㆓世數多少㆒。
既而得㆑一。不悦。羣臣失㆑色。
楷曰。
臣聞天得㆑一以清。地得㆑一以寧。王侯得㆑一以為㆓天下貞㆒。
帝大悦。
累㆓遷中書令侍中㆒。
書き下し文
晋の裴楷(はいかい)、字(あざな)は叔則(しゅくそく)、河東(かとう)聞喜(ぶんき)の人なり。
明悟(めいご)にして識量(しきりょう)有り、少(わか)くして戎(じゅう)と名を斉(ひと)しうす。
鍾会(しょうかい)、文帝に薦(すす)め、相国(しょうこく)の掾(じょう)に辟(め)さる。
吏部郎(りぶろう)缺(か)くるに及び、帝、鍾会(しょうかい)に問ふ。
会(かい)曰く、
裴楷(はいかい)は清通、王戎(おうじゅう)は簡要、皆な其の選(せん)なり、と。
是(ここ)に於ひて楷(かい)を用ふ。
楷(かい)、風神(ふうしん)高邁(こうまい)、容儀(ようぎ)俊爽(しゅんそう)、博(ひろ)く群書(ぐんしょ)に渉(わた)り、特(とく)に理義に精(くは)し。
時に之を玉人(ぎょくじん)と謂ふ。
又た称す、
叔則(しゅくそく)を見れば、玉山(ぎょくざん)に近づくが如く、人を照映(しょうえい)す、と。
中書郎(ちゅうしょろう)に転じ、官省(かんしょう)に出入するに、見る者粛然(しゅくぜん)として容(かたち)を改む。
武帝、祚(そ)に登り、策(さく)を探り、以て世数(せすう)の多少を卜(ぼく)す。
既にして一を得て悦ばず、群臣色を失ふ。
楷(かい)曰く、
臣聞く、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、王侯は一を得て以て天下の貞(てい)たり、と。
帝、大ひに悦ぶ。
中書令(ちゅうしょれい)侍中(じちゅう)に累遷(るいせん)す。
現代語訳
晋の裴楷(はいかい)、字(あざな)は叔則(しゅくそく)、河東(かとう)聞喜(ぶんき)の人である。
道理に通じ、識見器量ともに優れていたので、若くして王戎(おうじゅう)と名声を等しくした。
鍾会(しょうかい)が文帝に推挙し、宰相の下役に登用された。
吏部郎の職が空くと、文帝が鍾会に尋ねた。
鍾会が言った。
裴楷は物事によく通じ、王戎は物事の本質をよく掴みます、どちらも充分に務まるでしょう、と。
こうして裴楷を用いた。
裴楷は気品にあふれ、風格清々しく、多くの書籍に親しみ、特に老子や易に通じていた。
人々はこれを「玉人」と呼んだ。
またこうも称した、
叔則(しゅくそく)を見れば、玉山(ぎょくざん)に近づくが如く、人を見事に照らし出す、と。
中書郎となり、宮中に出入りすると、出会った者は皆な粛然(しゅくぜん)として態度を改めた。
武帝が即位し、めどぎを用いて晋の世の行く末を占なった。#1
結果は一であったので、武帝は悦ばず、臣下は皆な畏れた。
裴楷が言った。
私はこのように聞いています「天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧(やす)く、王侯は一を得て以て天下の貞(てい)たり」と。#2
武帝は大いに悦んだ。
中書令、侍中を歴任した。
- 備考
- #1めどぎは占筮(せんぜい)に用いる細い枝。
- #2老子三十九章。一の絶対なるをいう。天下一統。