匡衡鑿壁(巻之一)
原文
前漢匡衡。字稚圭。東海承人。
父世農夫。至㆑衡好㆑學。
家貧。庸作以供㆓資用㆒。
尤精力過㆓絶人㆒。
諸儒為㆓之語㆒曰。
無㆑説㆑詩。匡鼎來。
匡説㆑詩。解㆓人頤㆒。
射策甲科。元帝時為㆓丞相㆒。
西京雜記曰。
衡勤㆑學無㆑燭。鄰舎有㆑燭而不㆑逮。衡乃穿㆑壁。引㆓其光㆒而讀㆑之。
邑大姓文不識。名㆓家富多㆒㆑書。
衡乃與㆑其客作。而不㆑求㆑償。願㆓得㆑書遍讀㆒㆑之。
主人感歎。資給以㆑書。遂成㆓大學㆒。
書き下し文
前漢の匡衡(きょうこう)、字は稚圭(ちけい)、東海承(とうかいしょう)の人なり。
父は世(よよ)に農夫、衡(こう)に至りて学を好む。
家貧し、庸作(ようさく)を以て資用(しよう)に供す。
尤(もっと)も精力人に過絶(かぜつ)す。
諸儒、之が語を為(つく)りて曰く、
詩を説くこと無かれ、匡(きょう)の鼎(まさ)に来(きた)る。
匡(きょう)の詩を説く、人の頤(おとがひ)を解く、と。
射策(しゃさく)甲科(こうか)たり、元帝の時、丞相と為る。
西京雑記(せいきょうざっき)に曰く、
衡(こう)、学を勤めて燭(しょく)無し、鄰舎(りんしゃ)燭(しょく)有れども逮(およ)ばず、衡(こう)、乃ち壁を穿(うが)ち、其の光を引きて之を読む。
邑(ゆう)の大姓(たいせい)文不識(ぶんふしき)、名家にして富み、書多し。
衡(こう)、乃ち其れが与(ため)に客作(きゃくさく)し、而して償(しょう)を求めず、書を得て遍(あまね)く之を読まんことを願ふ。
主人感歎し、資給(しきゅう)するに書を以てし、遂に大学と成る、と。
現代語訳
前漢の匡衡(きょうこう)、字は稚圭(ちけい)、東海承(とうかいしょう)の人である。
父は世々に農夫の家柄で、匡衡(きょうこう)に至って学を好んだ。
家は貧しく、日雇い労働で生活を支えた。
匡衡(きょうこう)の学問に励むこと、衆人の及びつかぬ程であった。
諸々の儒学者はこれを称して言った。
詩経を説いてはいけない、匡衡(きょうこう)がやって来る。
匡衡(きょうこう)が詩経を説けば、誰もが口を開けて聴き入るのだ、と。
官吏試験を受けて優秀な成績をおさめ、元帝の時に丞相となった。
西京雑記(せいきょうざっき)にいう。
匡衡(きょうこう)は学問に勤めていたが明かりが無く、隣家には明かりがあったが手元までは届かず、故に壁に穴を開けてその光を引き込んで書物を読んだ。
郷里の権威者であった文不識(ぶんふしき)は、名家にして富み、多数の書物を所蔵していた。
匡衡(きょうこう)はその書物を目当てに使用人となり、報酬を求めず、書物を借りて遍く読むことを願った。
主人は感嘆し、用立てるに書物を以てし、遂に大学者と成った、と。