- 備考
- #1親に事(つか)ふるの道、愛敬を本と為す。
然れども敬は猶(な)ほ或(あるい)は勉(つと)めて能(よく)す可し。
愉色(ゆしょく)に至りては、則ち誠に深愛有りて終始衰(おとろ)へざる者に非ざれば能(あた)はず、故に色難しと曰(い)ふ。
先儒(せんじゅ)謂(いは)く、
子夏能(よ)く義を直くして或は温潤(おんじゅん)の色少なし、故に之を告ぐ、と。
蓋(けだ)し子夏の足らざる所に就(つ)きて之を誡(いまし)むるなり。(伊藤仁斎「論語古義」) - #2道(みち)愈(いよいよ)虚(きょ)なるときは則ち言(げん)愈(いよいよ)高く、徳(とく)愈(いよいよ)実(じつ)なるときは則ち言(げん)愈(いよいよ)卑(ひく)し、自然の符(ふ)なり。
故に天下の言、能く其の高きを為すを得て、卑きを為すこと能はざるは、其の徳を無(うしな)はん。
武伯(ぶはく)孝を問ふ以下三章の若(ごと)き、天下の言、此れより卑(ひく)きは莫(な)く、亦た此れより実なるは莫し。
惟(た)だ孔子能く之を言ひて他人の言ふこと能はざる所、聖言為(た)る所以なり。(伊藤仁斎「論語古義」)