八佾1

原文↑↑↑

孔子謂季氏
八佾舞於庭
是可忍也。孰不忍也。

書き下し文↑↑

孔子、季氏(きし)(い)ふ、
八佾(はついつ)(にわ)(ま)はしむ。
是れをも(しの)ぶ可(べ)くんば、(いず)れをか忍ぶ可からざらんや#1、と。#2#3

現代語訳↑

孔子が季氏を批評した。
季氏の庭では天子の舞を舞わしている。
こんなことを許していては、やがては全てがまかり通ってしまうようになるよ、と。

ここでは“忍ぶ”を魯君などの季氏の周りの者が忍ぶ意として訳した。
もしも忍ぶのが季氏とみるならば、「これをやるようであれば、我慢するところなどないだろう」といった訳になる。
その場合の忍ぶの意味は、まともな人なら実行するに“忍びない”ことを“忍んで”やることができるのだから、何の“忍びない”ということがあるだろうかといった意味である。
伊藤仁斎が謝氏の説を引いて記した内容がこれに当たる。

備考
#1季氏は魯の大夫季孫氏(きそんし)なり。
(いつ)は舞列なり。
天子は八、諸侯は六、大夫は四、士は二、毎佾人数は其の佾数の如し。
言ふは、季氏陪臣(ばいしん)を以てして敢へて(おか)して天子の禮楽を用ふ、是れ敢へて忍びて為す可きの事か、而して尚ほ忍びて之れを為さば、則ち何の事か忍びて為す可からざらん。(伊藤仁斎「論語古義」)
#2謝氏曰く、
君子の其の当に為すべからざる所に於いて、敢へて須臾(しゅゆ)(お)らざるは、忍びざるが故なり。
(しか)るを季氏此れを忍びたれば、則ち父と君とを(しい)すと雖も、亦た何の(はばか)る所ありて為さざらんや、と。(伊藤仁斎「論語古義」)
#3夫子の論ずる所、当時の人物、政治の得失、今(よ)り之れを観れば、或いは甚だ学者において(せつ)ならざること有るに似たり。
然れども孔門の弟子、皆な謹んで之れを書する者は、何ぞや。
夫子嘗て曰く、
之れを空言(くうげん)(さい)するは、之れを行事(こうじ)(あら)はすの深切(しんせつ)著明(ちょめい)なるに如かざるなり、と。
蓋し学は将に以て為すこと有らんとす。
故に(ひろ)く義理を論ずるは、事に(つ)き物に即きて、(ただ)ちに其の是非(ぜひ)得失(とくしつ)(べん)ずるの(まさ)れりと為すに若(し)かざるなり。
此れ等の章の如き、実に春秋(しゅんじゅう)の一経と(あい)表裏(ひょうり)す。
此れ当時の諸子(しょし)、謹み書して(のこ)さざりし所以なる(か)。(伊藤仁斎「論語古義」)

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