- 備考
- #1三家は魯の大夫、孟孫、叔孫、季孫の家なり。
雍(よう)は周頌の篇名。
徹(てつ)は祭り畢(おは)りて其の爼(そ)を收(おさ)むるなり。
天子宗廟(そうびょう)の祭りには、雍(よう)を歌いて以て徹す、是の時、三家僭(おか)して之れを用ふ。(伊藤仁斎「論語古義」) - #2相は助なり、辟公(へきこう)は諸侯及び二王の後、穆穆(ぼくぼく)は深遠の意、天子の容なり。
此れ詩の詞(ことば)、孔子之れを引いて言はく、三家の堂、此の事有るに非ず、亦た何ぞ此の義を取りて之れを用いんやと。
其の無知(むち)妄作(もうさく)の一端を挙げて、以て其の僭禮(せんれい)大類此の如きを明らかにす。(伊藤仁斎「論語古義」) - #3此れ上章に通じ、共に三家僭禮(せんれい)の為に発せり。
蓋し夫子の春秋(しゅんじゅう)を作りし意なり。
当時の人、三家の禮に僭(たが)ふを視て、徒(いたずら)に其の非を規(ただ)すこと能はざりしのみならず、反(かへ)つて之れを挙げて以て美談(びだん)と為せり。
故に夫子之れを斥(しりぞ)け以て其の僭妄(せんもう)の罪を明らかにし、且つ其の聞きて之れを改むるを欲せるなり。
夫れ位愈(いよいよ)盛んなれば則ち責愈(いよいよ)重し、禄愈(いよいよ)高ければ則ち任愈(いよいよ)大なり。
詩に曰く、
赫赫(かくかく)たる師尹、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)る、と。
季氏は魯の世卿、衆の倚頼(いらい)せし所にして、其の無智(むち)妄作(もうさく)此の如し。
既に信を当時に取るに足らず、又た裕を後毘(こうび)に垂るる所以に非ず、故に人の上と為りて学を知らざるは、其の蔽(へい)必ず此に至る。(伊藤仁斎「論語古義」)