大野了佐は愚鈍であった。
父は甚だ憂えて武士となることを止めさせた。
悲しんだ了佐は医学を学ばんと教えを乞うた。
藤樹はその心を憐れんで、医書「大成論」を読ませた。
了佐は二三句を読むのに二百遍を要し、朝十時から午後四時に至ってようやく覚えて帰った。
それなのに夕食を終えれば一字も読むことを得ず、再び藤樹を訪ねて百余遍、遂にその二三句を覚えた。
このようにしてようやく大成論を終えた。
やがて藤樹は近江に帰省した。
了佐は近江を訪ねた。
藤樹は了佐のために「医筌(いせん)」を作って講じ、終に医者として大成させた。
後に藤樹は門人に語っていった。
私がいかに教えたとしても、彼が勉めなければ何のことがあろうか。
彼は確かに愚鈍であったが、その努力には感ずべきである。
お前たちはよくよく学ばなければならない、と。
三輪執斎が近江に立ち寄った。
中江藤樹の墓に参らんとして農夫に道を問うと、農夫は農具を置いて家に入り、衣装を改めて案内した。
墓の門に至った農夫の様子は粛然としたものであった。
三輪執斎は怪しんで尋ねた。
どのような間柄で、敬礼このように至るのか、と。
農夫は答えていった。
藤樹先生を敬慕するのは、私のみではありません。
私の村では皆がこのようなのです。
父老は常にその子弟に申しております。
吾が里に父子礼あり、兄弟恩あり、室に忿疾(ふんしつ)の声なく、面に和煦(わく)の色ある者、職として藤樹先生の遺教に由ると。
これ一人としてこの思いを戴かざる者の居らぬ所以なのです、と。
三輪執斎は容(かたち)を改めていった。
世に称して近江聖人というが、私は改めてそれが虚賛でないことを知った、と。
そして藤樹の墓を拝し、農夫に謝して去ったという。