市村瓚次郎
東洋史学の大家。
字は圭卿、号は器堂。
小永井小舟(こながいしょうしゅう)の門にて漢籍を学び、長じて帝国大学古典漢書科を卒業。
学習院教授、帝国大学教授を歴任、新声社を結成し、於母影(おもかげ)を共訳にて刊行。
その出来は同時代の水準を遥かに超えるものであったという。
- 生誕
- 茨城県
- 生年
- 1864年
- 没年
- 1947年
山中即事
雲(くも)来(きた)りて千嶂(せんしょう)合(がっ)し、雲(くも)去(さ)りて萬峯(ばんぽう)分(わか)る。青山(せいざん)元(もと)より不動(ふどう)、一(いち)に任(まか)す去来(きょらい)の雲(くも)。
雲に包まれれば峰は合して一山(いちざん)となり、雲が去ればまた分かれて数峰(すうほう)となる。しかし青山(せいざん)は元から動いてはいない、ただ雲の去来によってそう見えるだけなのだ。
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