梁冀跋扈(巻之一)
原文
後漢梁冀字伯卓。褒親愍侯竦之曾孫。
為人鳶肩豺目。洞精瞠眄。口吟舌言。
拜大將軍。侈暴滋甚。
冲帝崩。冀立質帝。
少聰恵。知冀驕横。嘗朝羣臣。目冀曰。
此跋扈將軍也。
冀聞深悪之遂鴆殺。復立桓帝。而枉害太尉李固杜喬。
海内嗟懼。
其四方調發。歳時貢獻。皆先輸上第於冀。乗輿乃其次焉。
一門前後七封侯。三皇后六貴人。二將軍。
在位二十餘年。窮極滿盛。威行内外。百僚側目。莫敢違命。天子恭已。不得有所親豫。
帝既不平之。後發怒誅冀。
中外宗親。無長少皆棄市。他連及公卿列校刺史二千石。死者數十人。故吏賓客。免黜者三百餘人。朝廷為空。
收冀財貨三十餘萬。以充王府。用減天下税租之半。
書き下し文
後漢の梁冀(りょうき)、字は伯卓(はくたく)、褒親愍侯(ほうしんびんこう)竦(しょう)の曾孫(そうそん)なり。
人と為り、鳶肩(えんけん)豺目(さいもく)、洞精(どうせい)瞠眄(どうべん)、口吟(こうぎん)舌言(ぜつげん)す。
大将軍に拝せられ、侈暴(しぼう)滋(ますます)甚だし。
冲帝(ちゅうてい)崩じ、冀(き)、質帝(しつてい)を立つ。
少(わか)くして聡慧(そうけい)、冀(き)の驕横(きょうおう)を知り、嘗(かつ)て群臣を朝(ちょう)せしめ、冀(き)を目(もく)して曰く、
此れ跋扈(ばっこ)将軍なり、と。
冀(き)、聞きて深く之を悪(にく)み、遂に鴆殺(ちんさつ)し、復(ま)た桓帝(かんてい)を立て、而して太尉(たいい)李固(りこ)、杜喬(ときょう)を枉害(おうがい)す。
海内(かいだい)嗟(なげ)き懼(おそ)る。
其の四方の調発(ちょうはつ)、歳時(さいじ)の貢献(こうけん)、皆な先づ上第(じょうだい)を冀(き)に輸(おく)り、乗輿(じょうよ)は乃ち其の次なり。
一門前後七封侯(しちほうこう)、三皇后(さんこうごう)、六貴人(ろくきじん)、二将軍。
在位二十余年、満盛(まんせい)を窮極(きゅうきょく)し、威、内外に行はれ、百僚(ひゃくりょう)目を側(そばだ)て、敢へて命に違(たが)ふ莫く、天子己(おのれ)を恭(うやうや)しくし、親豫(しんよ)する所有るを得ず。
帝、既に之に不平なり、後に怒(ど)を発し冀(き)を誅す。
中外(ちゅうがい)の宗親(そうしん)、長少(ちょうしょう)無く皆な棄市(きし)し、他の連及(れんきゅう)する公卿(こうけい)、列校(れっこう)、刺史(しし)、二千石にして、死する者数十人、故吏(こり)、賓客(ひんきゃく)、免黜(めんしゅつ)せらる者三百余人、朝廷、為に空(むな)し。
冀(き)の財貨三十余万を収め、以て王府(おうふ)に充(あ)つ、用(もつ)て天下の税租(ぜいそ)の半ばを減ず。
現代語訳
後漢の梁冀(りょうき)、字は伯卓(はくたく)、褒親愍侯(ほうしんびんこう)・梁竦(りょうしょう)の曾孫(そうそん)である。
その人となりは、高く角張った肩に鋭い目をもち、すべてを見通すが如き眼光で圧したが、言葉は不明瞭で重厚さに欠けた。
大将軍を拝任すると、その横暴はますます激しくなった。
冲帝(ちゅうてい)が崩じると、梁冀は質帝(しつてい)を擁立した。
年少だが聡明な質帝は、梁冀の横暴を知ると、群臣との朝見に際して、梁冀を目(もく)して言った。
これは跋扈将軍である、と。
梁冀はこれを聞いて深く憎み、遂に毒殺して、今度は桓帝(かんてい)を擁立し、太尉の李固(りこ)と杜喬(ときょう)を罪に陥れて殺害した。
人々は嘆き恐れた。
四方からの年貢や時節に諸侯の貢ぎ物が来ると、皆な最初に一番良い物を梁冀に進呈し、天子はその次であった。
一門は前後で、七人の諸侯、三人の皇后、六人の貴人、二人の将軍を輩出した。
在位すること二十数年、世の栄華を極め、威勢はあまねく天下に達し、朝廷の者たちは目をそむけて命令に違(たが)うことなく、天子もまた意に背かぬようにして政治に自ら関与することはなかった。
天子の不平は溜まり、後に怒りが爆発し、梁冀を誅滅した。
父方母方の親族、年の長幼関係なく、一門は皆な市中に刑死し、連座して死する三公九卿、列校(れっこう)、刺史(しし)など二千石の禄の者たちは数十人、縁故ある官吏、賓客(ひんきゃく)で免職となる者は三百人超、ために朝廷は閑散とした。
梁冀の財貨三十余万を接収して国庫に入れ、天下の租税の半分が減じられた。