王導公忠(巻之一)
原文


晉王導字茂宏。光禄大夫覧之孫。
少有㆓風鑒㆒。識量清遠。
陳留高士張公。見而奇㆑之。謂㆓其從兄敦㆒曰。
此兒容貌志氣。將相之器也。
元帝為㆓琅邪王㆒。與㆑導素相親善。
導知㆓天下已亂㆒。遂傾㆑心推奉。潜有㆓興復之志㆒。
帝亦雅相器重。
會㆔帝出鎮㆓下邳㆒。請㆑導為㆓安東司馬㆒。軍謀密策。知無㆑不㆑為。
帝常謂曰。
卿吾之蕭何也。
累㆓遷中書監。録尚書事㆒。
及㆔帝登㆓尊號㆒。百官陪列。
命㆑導升㆓御床㆒共坐。
導固辭曰。
若太陽下同㆓萬物㆒。蒼生何由仰㆑照。
帝乃止。
進㆓位司空㆒。
書き下し文

晋の王導(おうどう)、字は茂弘(もこう)、光禄大夫(こうろくたいふ)覧(らん)の孫(そん)なり。
少(わか)くして風鑑(ふうかん)有り、識量(しきりょう)清遠(せいえん)なり。
陳留(ちんりゅう)の高士(こうし)張公(ちょうこう)、見て之を奇(き)とし、其の従兄(じゅうけい)敦(とん)に謂ひて曰く、
此の兒(じ)、容貌志気、将相(しょうそう)の器なり、と。
元帝(げんてい)、琅邪王(ろうやおう)為(た)り、導(どう)と素(もと)より相ひ親しみ善し。
導(どう)、天下の已(すで)に乱るるを知り、遂に心を傾けて推奉(すいほう)し、潜(ひそか)に興復(こうふく)の志有り。
帝、亦た雅(もと)より相ひ器重(きちょう)す。
帝、出でて下邳(かひ)を鎮(ちん)するに会ひ、導(どう)を請ひて安東(あんとう)司馬(しば)と為し、軍謀(ぐんぼう)密策(みっさく)、知りて為さざるは無し。
帝、常に謂ひて曰く、
卿(けい)は、吾の蕭何(しょうか)なり、と。
中書監(ちゅうしょかん)、録尚書事(ろくしょうしょじ)に累遷(るいせん)す。
帝、尊號(そんごう)に登るに及び、百官陪列(ばいれつ)す。
導(どう)に命じ御床(ぎょしょう)に升(のぼ)り共に坐せしめんとす。
導(どう)、固辞して曰く、
若(も)し太陽下りて万物に同じうせば、蒼生(そうせい)何に由りて照(しょう)を仰がん、と。
帝、乃ち止む。
位を司空(しくう)に進む。
現代語訳
晋の王導(おうどう)、字は茂弘(もこう)、光禄大夫(こうろくたいふ)・王覧の子孫である。
若くして人物眼に優れ、識見器量ともに人の及ばぬものがあった。
陳留(ちんりゅう)の名士であった張公(ちょうこう)は、見(まみ)えて人物と認め、その従兄(いとこ)である王敦に嘆じて言った。
この子の容貌志気は将相(しょうそう)の器である、と。
元帝が琅邪王(ろうやおう)であった時、王導と互いによく親しみ交わっていた。
王導は晋の滅亡と乱世の到来を察知すると、遂に心を傾けて元帝を推戴し、ひそかに晋朝の復権を志した。
元帝もまた王導を信頼し重んじた。
元帝は安東将軍として下邳に赴任すると、王導を招聘して安東司馬に任じ、あらゆる計画を王導に計り実行させた。
元帝は常に語って言った。
貴方は私の蕭何(しょうか)である、と。
中書監、録尚書事に累進した。
元帝が天子の位に上るに及び、諸臣が位に従って列座した。
王導に命じ、玉座に登らせて共に座らせようとした。
王導は固辞して言った。
もし太陽が下って万物と同じ位置にいたとすれば、人々はどのようにして照(しょう)を仰げばよいのでしょうか、と。
元帝はすなわち止めた。
位は司空に進んだ。