新納忠元
戦国武将。
武蔵守(むさしのかみ)と称し、後に拙齋(せっさい)と号す。
島津義久に仕えて文武両道、「鬼武蔵」の異名をとった。
慶長十五年、八十五歳没。
述懐
今朝二十七春風。吹入舊叢花復紅。豈莫三分割據略。英雄不顧草廬中。
今朝(こんちょう)二十七春風(しゅんぷう)、吹(ふ)いて入(い)る舊叢(きゅうそう)花(はな)復(ま)た紅(くれない)なり。豈(あ)に莫(な)からんや三分(さんぶん)割據(かっきょ)の略(りゃく)、英雄(えいゆう)顧(かへり)みず草廬(そうろ)の中(うち)。
今朝(けさ)春風の訪れと共に二十七となった、古き草木も風と共に紅の花を咲かせている。自分には三分割拠の大略が在るのだが、我が草廬(そうろ)を訪れる英雄が居ない。