八佾5

原文↑↑↑

子曰。
夷狄之有君。不諸夏之亡也。

書き下し文↑↑

子曰く、
夷狄(いてき)(きみ)有るは、諸夏(しょか)(な)きが(ごと)くならざるなり、と。#1#2

現代語訳↑

孔子が言った。
他の民族だって君主がいれば、このように乱れはしないのだ、と。

備考
#1諸夏は中国なり、亡は無なり、有を視ること無の如きを謂ふ。
此れ孔子、時の上下の(ぶん)無きに(きづ)つきて之れを(たん)ずるなり。(伊藤仁斎「論語古義」)
#2夫子、時俗(じぞく)(みだ)れを視る毎に、一事の小と雖も、必ず重く之れを嘆ず、其の関係する所の大なるを以てなり。
今、諸夏は禮義の在る所、而して(かつ)て夷狄(いてき)に之れ若(し)かざるは、則ち其の変(みだ)れ為(た)ること亦た甚だし、此れ春秋を作る所以なり。
此の時に当って、周衰へ、道廃し、禮樂残欫すと雖も、而も典章(てんしょう)文物(ぶんぶつ)、尚ほ未だ湮墜(いんつい)せず、孰(た)れか諸夏の夷狄に若(し)かざるを知らん。
然れども夫子の寧(むし)ろ彼を捨てて此れを取るは、則ち聖人の實を(とうと)びて文を崇ばざるの意を見る可し。
其の春秋を作るや、諸侯、夷の禮を用いざれば則ち之れを夷にし、夷にして中国に進めば、則ち之れを中国にせり。
蓋し聖人の心は即ち天地の心、遍覆(へんふく)包涵(ほうかん)して容れざる所無く、其の善を善として其の悪を悪(にく)む、何ぞ華夷(かい)の辨有らん。
後の春秋を説く者、甚だ華夷の辨を厳にするは、大に聖人の旨を失へり。(伊藤仁斎「論語古義」)

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