- 備考
- #1諸夏は中国なり、亡は無なり、有を視ること無の如きを謂ふ。
此れ孔子、時の上下の分(ぶん)無きに傷(きづ)つきて之れを嘆(たん)ずるなり。(伊藤仁斎「論語古義」) - #2夫子、時俗(じぞく)の変(みだ)れを視る毎に、一事の小と雖も、必ず重く之れを嘆ず、其の関係する所の大なるを以てなり。
今、諸夏は禮義の在る所、而して曾(かつ)て夷狄(いてき)に之れ若(し)かざるは、則ち其の変(みだ)れ為(た)ること亦た甚だし、此れ春秋を作る所以なり。
此の時に当って、周衰へ、道廃し、禮樂残欫すと雖も、而も典章(てんしょう)文物(ぶんぶつ)、尚ほ未だ湮墜(いんつい)せず、孰(た)れか諸夏の夷狄に若(し)かざるを知らん。
然れども夫子の寧(むし)ろ彼を捨てて此れを取るは、則ち聖人の實を崇(とうと)びて文を崇ばざるの意を見る可し。
其の春秋を作るや、諸侯、夷の禮を用いざれば則ち之れを夷にし、夷にして中国に進めば、則ち之れを中国にせり。
蓋し聖人の心は即ち天地の心、遍覆(へんふく)包涵(ほうかん)して容れざる所無く、其の善を善として其の悪を悪(にく)む、何ぞ華夷(かい)の辨有らん。
後の春秋を説く者、甚だ華夷の辨を厳にするは、大に聖人の旨を失へり。(伊藤仁斎「論語古義」)