伊藤仁斎
諱は維禎(いてい)、字は源佐(げんすけ)、仁斎は号。
また、別号として古義堂、棠隱(とういん)。
幼時に大学を読んで発奮、宋学の経典注釈を排し、原典を考究すること多年、古義学派を創始。
その家塾古義堂は門弟三千人に及んだという。
- 生年
- 1627
- 没年
- 1705
- 生誕
- 京都
祝
神皇正統億萬歳。一姓相傳日月光。市井小臣甞竊祝。願敎文敎勝虞唐。
神皇(じんのう)正統(せいとう)億(おく)萬歳(まんざい)、一姓(いっせい)相(あひ)傳(つた)ふ日月(じつげつ)の光(こう)。市井(しせい)の小臣(しょうしん)嘗(こころ)みに竊(ひそ)かに祝(しゅく)す、願(ねがは)くば文教(ぶんきょう)をして虞唐(ぐとう)に勝(まさ)らしめん。
我が国体は億万歳にわたって正統を継ぎ、一姓連綿として日月の光のように導いてくれる。無官の自分は陰ながらひそかにお祈り申し上げよう、願わくば微力を尽して文教を致し以て堯舜に勝らしめんと。
漁夫圖
兩鬢皤皤霜雪垂。蘆洲水淺吐花時。好將整頓乾坤手。獨向江湖理釣絲。
両鬢(りょうびん)皤皤(はは)霜雪(そうせつ)垂(た)る、蘆洲(ろしゅう)水(みず)淺(あさ)し花(はな)吐(は)くの時(とき)。好(よ)し乾坤(けんこん)を整頓(せいとん)するの手(て)を将(も)つて、獨(ひと)り江湖(こうこ)に向(むか)つて釣絲(ちょうし)を理(おさ)む。
漁翁の髭(ひげ)は霜雪の如くに白く垂れ、蘆(あし)の茂る中州は水も浅くなり花が満開である。ああ天下を経綸する手をもって、独り悠然と江湖に向かって釣り糸を垂れている。