郅都蒼鷹(巻之一)
原文


前漢郅都。河東大陽人。
景帝時為㆓中郎將㆒。
敢直諌。面㆓折大臣於朝㆒。
遷㆓中尉㆒。
是時民樸畏㆑罪自重。而都獨先㆓嚴酷㆒。致㆓行法㆒不㆑避㆓貴戚㆒。
列侯宗室見㆑都。皆側㆑目而視。號曰㆓蒼鷹㆒。
拜㆓鴈門大守㆒。
匈奴素聞㆓都節㆒。舉㆑邊引去。竟㆓都死㆒不㆑近㆓鴈門㆒。
匈奴至㆘為㆓偶人㆒象㆑都。令㆓騎馳射㆒。莫㆗能中㆖。
其見㆑憚如㆑此。
匈奴患㆑之。
竇太后。乃中㆑都以㆓漢法㆒。卒斬㆑之。
書き下し文

前漢の郅都(しつと)、河東(かとう)大陽(たいよう)の人なり。
景帝(けいてい)の時、中郎将(ちゅうろうしょう)と為る。
敢へて直諫(ちょくかん)し、大臣を朝(ちょう)に面折(めんせき)す。
中尉(ちゅうい)に遷(うつ)る。
是の時、民樸(ぼく)にして罪を畏れ自重(じちょう)す、而して都(と)、独り厳酷(げんこく)を先にし 、法を致し行ふに、貴戚(きせき)を避けず。
列侯(れっこう)宗室(そうしつ)、都(と)を見るに、皆な目を側(そばだ)てて視、號(ごう)して蒼鷹(そうよう)と曰(い)ふ。
雁門(がんもん)太守を拝す。
匈奴(きょうど)素(もと)より都(と)が節(せつ)を聞き、辺を挙(こぞ)つて為に引き去り、都(と)が死を竟(おは)るまで雁門(がんもん)に近づかず。
匈奴、偶人(ぐうじん)を為(つく)りて都(と)に象(かたど)り、騎をして馳射(ちしゃ)せしむるに、能く中(あた)る莫きに至る。
其の憚(はばか)り見ること此の如し。
匈奴、之を患(うれ)ふ。
竇太后(とうたいごう)、乃ち都(と)に中(あ)つるに漢法を以てし、卒(つひ)に之を斬る。#1
現代語訳
前漢の郅都(しつと)は河東(かとう)大陽(たいよう)の人である。
景帝(けいてい)の時に中郎将(ちゅうろうしょう)となった。
誰に恐れることなく直言して諌め、諸官の列座する前で大臣の過失を責めた。
中尉に昇格した。
この時、民衆は素朴に罪を畏れて自重したが、郅都(しつと)は厳酷を第一とし、処罰するにたとえ高官・名家であっても許さなかった。
諸侯や皇族は郅都(しつと)を見るに正視することが出来ず、号して「蒼鷹(そうよう)」と呼んだ。
雁門(がんもん)の太守に任じられた。
匈奴は以前から郅都(しつと)の節度厳酷なるを聞き、辺境から挙(こぞ)って引き去り、郅都(しつと)が死するまで雁門(がんもん)に近づかなかった。
匈奴は人形を作り、郅都(しつと)に似せ、騎者に命じて馬上から射させたが、遂に当たらなかった。
その憚(はばか)り見ること、このようであった。
匈奴はこれを患えた。
竇太后(とうたいごう)は郅都(しつと)に報いるに漢法を以てし、ついにこれを斬った。
- 備考
- #1郅都が中尉の官に在りし時、景帝の弟の臨江王を罪におとし、自害させた。竇太后はこれを怨んでいたので、殊更に法にあてて処罰したという。