周嵩狼抗(巻之一)
原文
晉書。
周嵩字仲智。兄顗字伯仁。汝南安成人。
中興時。顗等竝列㆓貴位㆒。
嘗冬至置㆑酒。其母擧㆑觴賜㆓三子㆒曰。
吾本渡㆑江。託㆑足無㆑所。
不㆑謂爾等並貴。列㆓吾目前㆒。
吾復何憂。
嵩起曰。
恐不㆑如㆓尊旨㆒。
伯仁志大而才短。名重而識闇。好乗㆓人之弊㆒。非㆓自全之道㆒。
嵩性抗直。亦不㆑容㆓於世㆒。
惟阿奴碌碌。當㆑在㆓阿母目下㆒耳。
阿奴嵩弟謨小字也。
後顗嵩竝為㆓王敦㆒所㆑害。
謨歴㆓侍中護軍㆒。
世説抗直作㆓狼抗㆒。
晉書周顗傳。
處仲剛愎強忍。狼抗無㆑上。
處仲王敦字也。
書き下し文
晋書にいふ。
周嵩(しゅうすう)、字は仲智(ちゅうち)、兄・顗(ぎ)、字は伯仁(はくじん)、汝南(じょなん)安成(あんせい)の人なり。
中興(ちゅうこう)の時#1、顗(ぎ)等並びに貴位(きい)に列す。
嘗(かつ)て冬至(とうじ)に酒を置き、其の母、觴(さかづ)きを挙げて三子(さんし)に賜ひて曰く、
吾れ本(も)と江(こう)を渡り#2、足を託(たく)する所無し。
謂(おも)はざりき、爾(なんじ)等、並びに貴く、吾が目前に列せんとは。
吾れ復(ま)た何をか憂へん、と。
嵩(すう)、起ちて曰く、
恐らくは尊旨(そんし)の如くならざらん。
伯仁(はくじん)は志(こころざし)大(だい)にして才(さい)短く、名重くして識(しき)闇(くら)く、好みて人の弊(へい)に乗ず、自全(じぜん)の道に非ず。
嵩(すう)は性(せい)抗直(こうちょく)、亦た世に容(い)れられず。
唯(た)だ阿奴(あど)は碌碌(ろくろく)、当に阿母(あぼ)の目下(もっか)に在るべきのみ、と。
阿奴(あど)は嵩(すう)が弟、謨(ぼ)の小字(しょうじ)なり。
後に顗(ぎ)、嵩(すう)並びに王敦(おうとん)の害す所と為る。
謨(ぼ)は侍中(じちゅう)護軍(ごぐん)を歴(へ)たり。
世説(せせつ)に抗直(こうちょく)を狼抗(ろうこう)に作る。
晋書周顗(しゅうぎ)伝にいふ。
處仲(しょちゅう)、剛愎(ごうふく)強忍(きょうにん)、狼抗(ろうこう)上(かみ)を無(な)みす、と。
處仲(しょちゅう)は王敦(おうとん)の字なり。
現代語訳
晋書にいう。
周嵩(しゅうすう)、字は仲智(ちゅうち)、兄の顗(ぎ)、字は伯仁(はくじん)、汝南(じょなん)安成(あんせい)の人である。
元帝の時、二人は共に高い地位にいた。
かつて冬至に酒宴を開き、その母が盃(さかずき)を挙げて三人の子供に与えて言った。
私は落ちぶれて揚子江を渡り、身を寄せるところもない有様でした。
思いもよらないことです、お前達がそろって貴くなり、私の前に並ぶとは。
私にはもう憂うべきものなど何もありません、と。
周嵩(しゅうすう)が立ち上がって言った。
おそらくはお考えのようにはなりません。
兄は大きな志を抱くも才が足らず、名声を得るも見識が及ばず、好んで人の失敗に付け込みますから、自らを全うする道ではありません。
私は何でも押し通して譲らぬ性質ですから、また世の中と相容れません。
ただ弟の阿奴(あど)は凡庸ですから、まさに母上のお側に居ることができましょう、と。
阿奴(あど)は周嵩(しゅうすう)の弟、周謨(しゅうぼ)の幼名である。
後に周顗(しゅうぎ)と周嵩(しゅうすう)はそろって王敦(おうとん)に殺害された。
周謨(しゅうぼ)は侍中(じちゅう)・護軍(ごぐん)を歴任した。
世説新語(せせつしんご)では抗直(こうちょく)を狼抗(ろうこう)に作る。
晋書の周顗(しゅうぎ)伝にいう。
處仲(しょちゅう)は剛情にして残忍、主意に従うことなく主君を蔑(ないがし)ろにした、と。
處仲(しょちゅう)は王敦(おうとん)の字(あざな)である。
- 備考
- #1東晋元帝の時をいう。
- #2西晋愍帝の時に天下乱れて落魄し、揚子江を渡って南方に逃げたるをいう。